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「新手」の研究

ちょっと前の話になっちゃうんだけど、7日の日経夕刊、将棋の新手ブームが記事になっていました。将棋はぜんぜん分からないんだけど、たまに解説番組を見ていると、確かに新手ブームってのはあったのかな。

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囲碁の方も、中韓に「普通」に負けるようになってから、いろいろと面白い手が出てきましたよね。まあ私が碁を始めたのがその頃だから、それ以前のことはよくわかんないんですけど^^。

で、この記事の結びの部分がちょっと気になった。

半面、ベテランの淡路九段は「最近のプロの将棋は、アマチュアには難しすぎる。アマの模範にならないといけないのに」と複雑な顔をする。森内名人は「プロの新手は基本を踏まえたうえでのもの。将棋ファンの方は、まずは基本に忠実に」と話している。

後段は全く同意するし、当たり前のことと思う。まあ「碁は自由」論者には同意してくれない人もいるから、「個人的には当たり前」にしとく。

ただね。プロが新手研究を行う際に「アマの模範にならないといけないのに」というブレーキがあるのだとしたら、そんなブレーキはぜったいに取り払ってもらいたい。プロが「すごすぎる手」を打った時、その手がどういう考えや、部分的なヨミで打たれてるか考えるのは、一義的には鑑賞者の義務だから。

まあ囲碁界の場合。「カミソリ坂田」先生のように「なんじゃこれ」(当社比)の打ち方が普通にあった。無冠になってしまったけれど、二十五世本因坊治勲だって「アマの手本」って観点から考えれば「おかしい」ところがたくさんある(当社比)。さらに言えば女流だって、「私はいつでも戦うわよ」風の打ち方があったりするみたい。

そういうのを考えると、少なくとも囲碁界においては「アマの手本に」なんてブレーキはないんだろうな、きっと。

記事に書かれた淡路九段の発言が、どのような意図のものなのか、まあちょっとわからない。で、私などは確かにプロの着手に「手本」を求めてはいる。でもそれは「自分の理解できる範囲」でのこと。「その手はないと習ったが」と思ったにしても、「ここでは自分に理解できない『事情』があったんだろう」と考える。

個人的には「アマの手本」を、あまり狭くとらえて欲しくはないですね。

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