高梨聖健八段。授業時間が終わるとよく自らの実戦譜を並べてくれます。
これはちょっと古いけど7月23日号の週刊碁「これぞプロ!」に出た譜。ちなみに私、「これぞプロ!」はあまり見てません^^。「まあ部分的にそう打つよね」という細かなところが多くて、取り敢えず現時点の私の勉強にはならないのです。
ちなみに聖健先生の碁を紹介したのは山田規三生九段。「高梨さんとはよく飲みます。いいところを探してやろうと気合が入りました」。うん。そういえば二人の相合い傘も見たことがある(笑)。
で、図ですよ。今、聖健先生がツケを打ったところ。あ、相手は田原靖史六段。白の強いところで戦わず、調子のサバキを求める手という意味ですね。
ただ。この手はぼくたちも読んでみる。この局面、第一感が縦に二路上に寄った二間飛び。で、それだと味を消しそうな意味もあって、「それならば」と次に読んでみたくなるのはこのツケ。
# ま、どーせ私ゴトキには読み切れないんですけどね^^。
だから示されたこの手はわりと良いんだけれど、実はその前の手が打てない。前の手とは15の九のボウシ。一応「形」だからボウシは考える。だけど白が最強にツケで頑張ってきたとき、どうも良い流れが浮かばない。私ごときが流れを失えば、それはすなわちモチコミになりかねない。
だから私はハナヅケは打っても、その前のボウシは打たないわけですよ。しかしこの後の進行(週刊碁をご覧ください^^)ではボウシがあるからこその進行になるんですよね。
「先生、ツケは俺も打つかもしれん。しかしボウシ。あれが打てないんだよなあ」
「あはは。ツケよりもボウシが『素晴らしい手』だったかもしれませんね」。
むむ。まあそれくらいは認めるさ(笑)。
「でさ。何考えてボウシ打ったですか? 僕も打てるようになりたいんだけど」
「え? え~と、何も考えてません」。
くく。結構そうなんだよなあ。なんか自分の中で組み立てるストーリーが途切れるところ。そういうところへの着手について「なんで?」と食い下がると「そこには石があるものだと思いました」とかいう返事が戻ってくる(笑)。
「なんだよ~、それ~。考えてねえんじゃ~学びようがねえじゃねぇかよ~(;_;)」
「あはは。ぼくは子どもの頃からやってますからねえ」。
くそ~。確かに碁を論理「だけ」で打つのは、すごく遠回りだと思う。でもいつかそういう手、打ってやるからな~。
と、このところそんな思いもあり、若干対局数を増やしていたりするんですよね~(^^)。
