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古碁があまり好きでないひとつの理由。

秀和と若かりし頃の秀甫の碁を覚えてみました(棋譜)。

この碁を並べて、古碁があまり好きでない理由のひとつに思い当たりました。それはすなわちコミがないこと。

以前大手合を集中的に並べたことがあって(白番の打ち方を研究しようかななんて思った)、その時にも思ったんだけど、やはり白のガンバリが目立つんですよね。まあプロの碁だから「ガンバリ」の中に「すげー」と感心する「読み」が入っていることが普通。その「読み」に感心することも多いんだけど、コミ碁になれた感覚からすると「なんでそこまでやらなあかんねんっ!」と思ってしまうことも多い。

今回並べた碁も秀和が序盤からがんがんに仕掛けるんですよね。結果は持碁だから奏効している部分もあるわけなんだけど、「得してねえじゃんよ、それ」みたいなシーンもあったり(もちろんそう簡単に奏効するわけはない)。

現在は「互先」と言えば六目半のコミがあります。コミなしで打つとき、それは「ハンディキャップ」なわけで、白もさほどムキになる必要もない。そもそも相手にハンディを与えているんだから、白が負けたって構わない。また、段位で手合を変えて打つわけじゃないから、「公式」な手合は「常に」互先。

昔は「先」とか「先相先」とかが「公式」な手合だった感じだから、コミがなくてもきちんと結果を残さなくちゃいけない。そういう意味で白に無理をさせる時代だった感じ。

一時、坂田先生の碁を並べて大嫌いになったことは何度か書きました。この秀和の碁を並べていて思ったんですが、坂田先生は(相対的に)「昔に近い」棋士だったのかもしれないな、と。

もちろん昔の碁には味わうべきところもたくさんあって、大好きな棋譜も多くあります。でもそういえば、持碁になったりする碁には、好きな棋譜があまりないような気がします(^^)。

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