「『碁ワールド』棋戦解説に提言す」という「対局日誌」の記事について。
最初はコメントにしようと思ってたのに、ちょっと長くなってコメントで書けなくなった計画性のない私です…。だから記事としてもまとまってません。
で。「対局日誌」記事の全体的な部分はおいといて「部分」についてだけ。
図のように白の山下プロは、小林流に対し「不利」とされる一間高にカカり、黒のハサみに白10。 これに対し解説の石田章プロは「タイトル戦という大舞台で、敢えて不利とされる形に挑んだことに、敬意を表しましょう」と言っているが、そんなことはどうでもよろしい。
まず、きっと多くの読者がこの「やっぱ不利になったよなあ」というニュアンスに「救い」を感じたことは言っておきたい(^^)。私も弟子には「絶対打つんじゃねえ。打ったら破門」とか言ってます(笑)。
でも山下棋聖は打ちました。「む~、困ったことになった」と思いましたよ、実際。ただ、その後の碁を見れば「ぜんぶやる」が山下棋聖の目的であったことは明か。私たち(私とその弟子)ごときは、そんな「ぜんぶやる」モードで行くと碁じゃなくなるんですよ。読み抜けばっかりでね。だからこの碁の山下棋聖の打ち方を見て「うん! 俺が弟子に禁じていることは間違いじゃないぞ!」と思った。
そんな中でね。石田九段の「やっぱね~」は結構幸せに感じたのです。つまりあの文章も「どうでもよろし」くはぜんぜんないんですね(^^)。
次に
一体、山下プロが暖めていた構想はなんだったのか?
そしてそれが、どうして日の目をみなかったのか。
それがまるっきり省かれている。
という部分。これね。私もこの碁について、数人の棋士に聞きました。「敢えて不利と言われてる手を打ったのはなぜか」。結構な先生方が「あれくらいで有利不利が決まるものだと思いたくない」とか「思いたくないと思ったのではないか」とか「やれないわけはないんだと思う」とか、そういう回答があったんですよ。
中韓に置いて行かれたといわれる中、棋士にも「希望」や「矜持」や「焦り」みたいなものもあるはず。また、「これは形じゃありません」と言えば「だから中韓に」と言われちゃう。それで言えないのもあるはず。
と、思って今「碁ワールド」の一月号を開きましたが、石田九段、言ってるじゃないですか。
本譜の手順は超難解、一般アマチュアの理解範囲を越えているので、手順を一気に加速させる(碁ワールド1月号)
ここから「不利と言われる形を打つのであれば、難解な戦いをヤッテイク覚悟が必要だったのだ」ということと、「山下棋聖はその難解さの中から手を見つけるはずであった」ということがわかりますね。解説が多すぎてもむしろ棋譜が見えなくなるレベルの私であってみれば、こういう略し方は結構歓迎します。
そこを略して後に「一手ヨセコウの考え方」が解説されているけれど、私ごときのレベルではそういうのがむしろ、凄く嬉しい。
碁ワールド、ね。今の私は取り敢ず「目の前に棋譜があれば並べてみる」という「サル」の状態だから、誌面に不満はさほど感じていません(先日の GnuGo のこととかは結構むかついたし、漫画もどうかとは思う)。
誌面を見て、自分のレベルより低い記事には「気付き」だけを求めてたりもします。「ああ、そういうところ、ちょっと見落としてたな」ってな感じ。
自分にとってより高度な記事は、ついでのときにプロの先生に教えて貰う(笑)。
あ、そっか。私はプロの先生に気軽に尋ねられる環境(と、言うか人格^^?)があるから不満を感じにくいのかな。
いや、正直に言っておくべきか。「やっていく碁」ってのは個人的に好きじゃないし、理解できない。だからこの碁も私には理解できなかった。「私のレベルじゃない」と思ったから理解しようとも思わなかった。
でも、今なぞって見てみた石田九段の記事に関しては、不満を感じるところはありませんでした。
