囲碁教室での話。これまでプロの棋譜を検討していたのに、今後はアマの棋譜も半分くらい扱うと。それで私がキレテその教室に行かないことにしたという話を前に書きました。
「アマの碁も勉強になるんです」と先方は言うわけですよ。
なんの勉強ですか?
そこに大きな齟齬があると思い至りました。
勉強ってね。「強くなるため」とか「アマらしいネジリアイになったときに何を考えるか」とかそんな勉強でしょ? そんなものいらないんです。
対局するのは好きじゃないとあちこちに書いてるけど、私は碁を「鑑賞」したい。棋譜という形で表現された「作品」を見ていたい。
「こういうところに打ってくるということは、相手はこう考えてるんです!」。アマの碁を見ながら言うじゃないですか。でも「そこ、切ってしまったらどうなるんですか?」「終わってますね」なんてことになる。そんな棋譜を眺めるのに時間を潰したくない。
ふむ。「勉強になります」ってのは確かに教室運営やってる人にとっては自然な発想かもしれない。強くなりたいと思ってる人ばかりでないことを見損じているのでしょう。

コメント (1)
とりさん、はじめましてhexagobanと申します。
棋譜を鑑賞されたいとのこと。同感です。自分では対局することなく、来る日も来る日も習慣のように棋譜を並べ続ける人の話を本で読んだこともあります。
>強くなりたいと思ってる人ばかりでない
これも思い当たる節があります。
囲碁との関わり方は人それぞれ、実に多様ですね。
私のブログには棋譜並べの事をいくつか書いていました。よろしかったらご覧下さい。
投稿者: hexagoban | 2007年01月17日 22:26
日時: 2007年01月17日 22:26