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数学と言語と囲碁

別ブログに書いた記事に影響されて、寺田寅彦の「数学と言語」を青空文庫で読んでみました。

文中で言う「数学も実はやはり一種の語学のようなものである」というのはよく言われること。で、囲碁についても同じように言えると感じています。「囲碁も実はやはり一種の語学のようなものである」。

言語はわれわれの話をするための道具であるが、またむしろ考えるための道具である。言語なしに「考える」ことはできそうもない。

よく主張しているのですが、プロ棋士というのは「碁石・碁盤で思考する」んですよね。さほど強くない私のような人は碁石・碁盤を自分の馴染みの言語(国語だったり英語だったり、あるいは数学だったり)に置き換えて考える。どうしても思考の過程にワンクッション生じてしまい、そこで論理のネジレができてしまい正解にたどり着けない場面も出てきてしまう。

長い修練によってそれをすっかり体得した上で、始めて自分自身の考えを運ぶ道具にする事ができる。

文中で寺田寅彦は、この考え方も数学と語学共通に言えることだと記しています。そしてもちろん囲碁についても言える。

数多くの知識を習得して、それを「思考ツール」として応用できるようになり、ふとたまにそのツールを用いて思考している自分に気付いたとき。その時初めて「知識」が自分のものになり、そして「自由」な思考を行う端緒に立つことができる。そしてその後にようやく「感性」というものが議論に登ってくるのです。

ちなみに話題の謝依旻三段のお父様も数学教師なんですって(asahi.com の記事)。記事でよく取り上げる孔令文五段は数学オリンピックの選手でした。

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